大切なことは、目に見えない

ぷーのひとりごと

これを読んで私を嫌いになるやつは絶対に読むなよ!

あの話をしよう。

記録しよう。

残っている記憶だけでも

決して忘れないように。

人間はすごい。

衝撃が強すぎる嫌なエピソードは記憶から消える。

私の人生のブランク、残る記憶を記録しよう。

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あんなに「死ね」と本気で言われたことはない。

罵声を浴びさせられたこともない。

あんなに怒鳴られたこともない。

たくさん怒鳴られたのに、細かくは何を言われたか思い出せない。

ただ、不動前の道ですれ違ったおじさんが、彼を『女の子虐めちゃだめだろ!!!』って怒鳴って助けてくれたのを覚えている。

あんなに謝ったこともない。

そうそう、本物の土下座、したことある?

あんなに自分を嫌いになったこともない。

 

あんなに毎日のように泣いたことはない。

理由のわからない涙も流したことはない。

電車で人目を気にせず泣く経験など、もうなかなかないだろう。

あんなに友達を信じれなくなったことはない。

あんなに先生も信じれなくなったことはない。

私はあんな奴らのような先生になりたくない。

あんなに疲れを忘れて、33kmを歩いたことなどない。

1番嫌いなのは、長距離走の私なのに。

あんなに本気で怒鳴った経験もない。

あんなに本気で走って逃げたことはない。

これぞリアル鬼ごっこ。人間、本気で逃げるときは、疲れなど忘れるらしい。

あんなに愛想笑いが上手になる特訓はない。

ついてはいけないといわれて育ってきたはずの嘘が、自分を守る武器となって、あんなにもスラスラ出てきたことはない。

演技派女優と呼んでほしい、あの時の私は間違いなく、一人の時、自宅にいるとき以外は表の顔という鎧を着ていたんだろな。

 

あんなに死にたいと

冗談でも思ったことはない。

 

そもそもイライラして家族以外の他人を攻撃したことがあっただろうか。

人生で、生まれて初めて、人に手をあげた。

確か2回。

あまり細かい記憶はないのだけれど、自分でも人に手をあげたことのショックで逆に病んだことを覚えている。

1回目は彼が踏切の音のする中、「もう死ぬ、お前のせいだ」的なこと電話してきて、急いで彼の地元にいき、ぼけーっと道路に突っ立って座り込んだ彼の顔を一発ひっぱたいた。

 

ドラマかよ笑

 

2回目、別れてからベランダで怒鳴り合ったとき。なんて言われたか忘れたけれど、去り際に何か言った彼の背中を全力で殴った。

パーだったかな、覚えてないや。

 

そのショックと、これまでの日々の疲れと、学校の先生への呆れが私を動かした。

そう、あの散歩に。

 

昼休みに5,6時間目をすっぽかして、33kmの散歩に出かける(笑)多分もっと歩いた。

 

学校側には、もっと前からSOSを出していたのに、(保健室に逃げたこと数回、担任にSOSの手紙を書いたこと一回)この時にやっと学校側はただのカップルの喧嘩ではないことに気づいたようだ。いや、学校の印象が悪くなるのをさすがに恐れたのだろうと私は思っている。

 

そりゃあ、私立学校から自殺者が出たときには、学校の信用問題にかかわりますもの。

 

後から聞いた話だが、私が散歩に行った後、学校周辺を捜しまわったらしい。

 

本当かよ、のわりに人いなかったけどな?

 

ただ、親に電話がいって、ものすごい焦っていたのも聞いた。

 

うける。

 

唯一信頼できた親にはしっかり連絡しておいたから、全く怒られなかった。なんなら一緒に学校の先生を人生で初めて見下して、バカにした。

 

初めて先生を心から嫌いになった。

 

大丈夫じゃないとき、大丈夫?と聞かれて大丈夫じゃないと答えられる子どもがどれだけいるだろうか。少なくとも私には、言えなかった。

あんな先生にはならない、なりたくない。

 

命がいくつもあるのなら、あの時死んで学校を困らせてやりたかった。

 

中学校で生徒会長なんかもしていたまじめな人間も、どうやらここまでの経験をするとグレるらしい。

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ただ、あの時の元カレの話は今では笑い話である。重い話ではあるけれど、いいネタとして使える話だ。悪すぎる記憶は消えているからかもしれないが。

 

しかし最近気付いてしまったことがある。

 

彼に「死ね」と言われようと、「消えろ」と言われようと、そんなのどうでも良くて、一番言われて傷ついていたこと。

 

それは

「誰々がお前の悪口言ってたよ」

「誰々たちはお前のこと嫌いだから関わらない方がいいよ」

だった。

 

本当に言っていたかもわからないし、彼はよく嘘をつく人だったから、今考えれば全てデタラメで、彼が自分しか信じないようにするためだったのかもしれない。

ただそんなことを考える余裕など、その時はなかった。

信じれなくなった。みんなを。

友達を失った。特に女の子。

高1の頃の女友達は、いない。

表向きで関わってたり、高2になって離れていったり。

女の子は残酷だ。いや、みんな優しいんだ、だからなんとかしてくれようと相談すると彼を攻撃してくれる。

でも違うんだよ

あとからその攻撃はわたしにまた回ってくるんだ、なんて言えなかったけれど。

 

そして彼は私が信じて相談した女の子を

「お前のことめんどくさいって」

「お前のこと裏では笑ってるんだよ」

なんて言うもんだから、みんなが大嫌いだったよ、その時はね。

 

優しい顔なんかしなくていいよ、

どうせ裏ではわたしのこと愚痴ったりしてるんでしょ。

そんな風にひねくれて考えるようになった。

 

それが一番辛かった。

 

いや、わからない、辛すぎた記憶はないから、中途半端なこの記憶が残って、自分の今の1番の傷として残ってるのかもしれない。

 

もっと友達が欲しかった。あの時、あの子たちともっと仲良くしていたかった。そのことに気付いてしまったことが辛い。

 

潜在している人間不信はもう忘れたことだと思っていたのに、最近珍しく現れた。

これはやっぱり、トラウマなのか。

トラウマという言葉で片付けていいのか。

 

誰かに話したら楽になる気がして、話したいという気持ちと同時に、嫌われるのが怖かった。

普段なら、「わたしを嫌うやつは嫌っておけばいい、好いてくれるひとだけそばにいればいい」という考えなのに、あの日の夜はなんだかセンチメンタルだったらしい。

 

めんどくさい

メンヘラ

まだそんなこと引きずってるのか

重い

 

そんな声が聞こえてきそうで、まぁ確かに間違ってはいないと思うから余計、人に言えなかった。

 

あぁ、この感覚懐かしいな。

そうそう、こういう感じ。

 

全部君のせいだなんて言わないよ

私もたくさん君を傷つけたね

君を恨むのは夢の中だけで充分だから

恨むことで自分が病むから

恨む労力が無駄だから 

 

お前がうちの記憶から消えてること

それが一番の罰になるんじゃないかな

 

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でも、感謝している面もたくさんある。

そう言い聞かせてるのもあるけれど。

あの時の出来事がきっかけで、小学校教員への夢がただ思い描くものではなくなり、私の理想とする教師像がはっきりとしたものに変わったことは間違いない。

この経験から学習面以上に道徳面を子どもたちに教えることのできる教員になりたいと考えさせられた。

最も大切にしていきたいのは、「経験」。

経験は座学にはかなわない。

それは私が一番知っている。

楽しい経験だけではなく、つらい経験も必ず将来役立つということを、伝えていきたい。

そして、子どもたちの本当の心の声を聞くことができる先生になる。絶対に。

 

助けてなんて言わせない。

言う前に気づいてやるんだ。

 

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〜おしまい〜